人生ハードモードの合法麻薬

感受性が強すぎて人生ハードモードな人間様へ

幸せってなに

幸せの抽象度
幸福に向かって生きている
幸福の定義をつけてしまうと齟齬が生じるが各々の人間が自分の望む姿を幸福だとみなすのであれば幸福というのは人間がこうありたいと望む姿になることが幸せだと言える
例えば不幸であり続けたいと願っている人間が不幸を願っているからといって幸せでないと言えない
なぜならそういう姿でいることがその人間の望みで、
その状態に向かって進んでいるのであれば幸福であると言える。
この論法は自由という言葉の定義にも当てはまる
自由でない状態を選ぶこと
それすらも選択できるということが自由なのであって不自由という選択肢がないそんな状況を自由とは呼

その前提が覆る場面もある
短期的だったり長期的だったりある一定の時間内で正常な判断ができない場合に自分を身体的に傷つける行為を行うことがある。
その結果命が終わってしまう場合それがその本人が本当にそこに行きたがっていたのか、もしくは一時的に感情的になっただけで誰かに苦しかったことを気づいて欲しかったのかもしれない。
もし命が終わらなかったとしても実は肉体的、精神的な制約のせいで自らが本当は望んでいる幸福に向かうことができない状態の人間も多くいる。
本人はそれに気づいていないために自分は幸せに向かって歩いていると思っているが追い求めた状況が手に入ったとしても幸せになれないことが多い。
いっときでも幸せになれるのであればまだ良い方で、望んだ状態になったにもかかわらずでも幸せを感じることがない場合もある。
それは幸せになるための方法を少しでも勉強していれば間違える必要がなかったかもしれない。
なぜこのようなことが起こるかというとほとんどの人は自分がどうなれば本当に幸せになれるかを知らない。

簡単に言うと
「自分のことを知らないから」

人を幸せにしようとした時に相手が何を望むかを一生懸命考えるように、自分が何を望むかを知る必要がある。